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2015年5月28日木曜日

「住宅供与を打ち切らないで!」お母さんたちの悲痛な声を聞いて!

517日、「自主避難 住宅提供 終了へ」という見出しで、福島県が調整に入っているという報道がありました。
 521日には「自主避難 打ち切り案 自治体に意見求める」という報道もあり、福島県内の市町村と県の避難者支援課が協議していることも明らかになっています。

 それに対して、避難を続けたいと願う方たちは、大きな不安を抱えて正式発表を待っています。そして現在、さまざまな団体が署名活動を行い、抗議の声もあがっています。

 この逼迫(ひっぱく)した状況に対して、

 「そろそろ自立していいのではないか」

 という冷たい声が投げかけられます。
 
 しかし、この4年という避難生活で、うまく生活再建できた方もいれば、一方で、貯金を切り崩しつづけながら、ぎりぎりの二重生活を続けてきた方もいるのです。

 そもそも、東京電力からのごくわずかな定額賠償以外、区域外避難者には賠償がありません。母子で避難している場合は、二重生活の費用も重くのしかかり、「家を売ろうか」と考える方もいます。住宅供与だけが、唯一の経済支援だったのです。

 働こうと思っても、避難先の保育園がいっぱいで働けない方もいれば、精神的に追い詰められてしまって日々の生活でせいいっぱいという方もいます。

 「孤独な避難生活がつらくて、子どもと一緒に死のうと思った」

とすら、打ち明けてくださる方がいるなか、個々の状況も見ずに言い放たれる「自立」という言葉。そして、そういった方を、事実上、切り捨てる今回の「自主避難 住宅提供終了へ」の報道。ようやく慣れた暮らしを再び壊すだけではなく、選択肢のない方にとっては「強制帰還」を意味します。

「私たちはチェスの駒じゃない」

北海道に中通りから母子避難した方の言葉です。自分の意思にかかわらず、「2年後に出て行け」と言われる。そんなことが、ほんとうにあっていいのでしょうか。

以下のコメントは、区域外避難をしているお母さんが、子どもを寝かせたあとに、一文字一文字、携帯やパソコンで打って送ってくださったものです。

「原発事故がなかったら、今頃、何をしていたかな・・・」

翻弄(ほんろう)されつづけた避難生活を思い返し、そう口にする方たちを、これ以上、追いつめないでほしいのです。



(文責・吉田千亜)


~~~~~~

住宅供与を打ち切らないで!!
お母さんたちから寄せられた声

内閣総理大臣 安倍晋三さま
福島県知事 内堀 雅雄さま
前略
福島県郡山市から大阪市に2児を連れて母子避難を4年間敢行しつづけている森松明希子と申します。
放射線被ばくからまぬがれ健康を享受する権利は、人の命や健康にかかわる最もたいせつな基本的人権にほかなりません。誰にでも等しく認められなければいけないと、私は思うのです。
なぜなら、少しも被ばくをしたくないと思うのは人として当然のことであり、誰もが平等に認められるべきことだと思うからです。
また、これから先、将来のある子どもたちに、健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは、親として当然の気持ちであり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。
そこには、一点のくもりもなく、放射線被ばくの恐怖、健康不安があってはならないと思うのです。
たまたま県外に親戚・縁者・支援者のつながりがあった人だけが被ばくをまぬがれることができる、とか経済力はじめ運良く様々な条件に恵まれた人たちだけが被ばくから遠ざかることができた、というようなことでほんとうによいのでしょうか?
今、次々となされる施策、たとえば支援住宅打ち切り政策(帰還支援のみにだけは手厚い保護)により、幼い子どもの被ばくを少しでも避けつづけていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということをご承知のうえでの措置なのでしょうか?
そして、それがほんとうに平等でフェアな施策だと言えるのでしょうか?
何よりも、それはほんとうに正しいことなのでしょうか?
そもそも、避難するという選択肢を取り、安心して避難を続けるという道筋が立てられる制度もなく、避難したくてもできない世帯があることを福島県や国はわかったうえでのこれまでのこの4年間のご対応なのでしょうか。
もしもご存じないのでしたら、それは、「声なき声」、生活者の視点、ふつうの暮らしをしている人々の思いや声を聞きもらしていることにほかならず、たいへんな無礼を承知のうえで申しあげますが、為政者としては致命的であると言っても過言でないと思うのです。
『原発子ども被災者支援法』という法律はあるのにずっと棚ざらしの現状・・・。
法律があっても、実際の被災者は何ら救済されないというこの現実・・・。
私は、福島にとどまり日々放射線と向き合う暮らしを余儀なくされていらっしゃる方々の選択をとやかく申しあげたことは一度もありません。むしろ、子どもを育てる同じ親としてのお立場の方々を思うにつけ、心中、心よりお察し申しあげるしだいです。
一方で、避難という選択をした私たちもまた、まぎれも無く福島県民であることに変わりありません。
遠く離れた土地に幼子と避難をしていたとしても、福島が、3.11以前の何の健康被害のリスクも不安もない状態に戻りさえするのなら、すなわち、3.11前には存在しなかった放射線がなくなり3.11前の福島でありさえするのなら、今すぐにでも家族そろって福島での生活を再開したいと心から願っているのです。
そう願いつづけて4年の歳月が流れました。
前県知事の佐藤雄平氏にもお手紙を書き、母子避難手記をお送りし、同様の趣旨のお願いを申し伝えましたが、避難をしている福島県民の「声」は届いているのでしょうか。
県政を引き継がれた内堀知事におかれましても、どうか避難という選択をした者もまた県民の一人として捨て置くことなく、人の生命・健康にかかわる最もたいせつな基本的人権を尊重していただけますよう、避難民にもまた、あたたかな支援・具体的施策の継続、実施をお願いしたく存じます。
原子力災害がひとたび起きたときに、これまでのご対応が通常の手法とされてしまうことで計り知れない国民の権利が将来にわたり侵害されることになると私は危惧(きぐ)するのです。
人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?
国民には、等しく、みずからの命を守り健康を享受する権利があるはずです。
生命や健康を守る行為が原則であり、その原則的行為を選択した人に対して、どうか最低限度の制度をもって保障してください。
そして、不幸にも原子力災害を経験してしまった県民(国民)として、次の世代に対して恥ずかしくないアクションを県政、県民として手を取り合って進めていただきたいと思うのです。
同様のことが、国政においても言えると思います。
そのためには、一部の経済的利害関係の発生する人々の声だけでなく、人として当たり前のことを申しあげているだけにすぎない一母親、一生活者、一県民、一国民の真摯(しんし)な声にどうか耳を傾けてくださいますよう、心からお願い申しあげます。
長文かつ乱文、たいへん失礼いたしました。
福島の復興を切に願う一県民として、また、東日本大震災からの真の復興を心から願う一国民として、筆を取らせていだだきました。
草々
2015526
福島県郡山市→大阪市 森松明希子


手をカタカタと震わせながら、町長ホームページに懇願、住宅支援を打ち切らないよう一緒に戦ってくださいと。ムダな抵抗なのかな・・・。
そのまま福島県避難者支援課生活課に電話。声も手も震えている。何を聞いても「協議中だから」と明確な答えはない。
今まで住宅支援ありがたかった。だからこそ自立しようと頑張っている、今ここで住宅支援打ち切られたら精神的にも肉体的にも振り出しに戻って不安になる。福島県は、私たちを見捨てるのですか?自主避難、なんの支援もない中の唯一の支援で助かっていたんです。どうか私たちが自身が、もう大丈夫です、今までありがとうと言えるまで待ってもらえないでしょうか。こんな電話があった事を必ず協議で伝えてください、お願いします、と言い電話を切った。今の私にできることは、これしかないのか……。
自立できるよう頑張っている最中です。今ここで住宅支援を打ち切られたら、精神的にも肉体的にもまた振り出しに戻るようでつらいのです。

2015526日 
福島県→埼玉県 河井加緒理



5月26日付の毎日新聞紙面に書いてありました。
「避難者漂流」
原発事故で被ばくを恐れ、避難指示がないまま避難を決意した私たちはその時点で、すでに漂流者でした。支援、補償、賠償、何も先が見えないまま、それでも我が子たちの将来を考えたとき、少しでもいらぬ被ばくを避けたい、その一心でマイホームも、仕事も、友人知人も、家族との時間も手放し決心した避難。
長引く二重生活に、家計は苦しくなるばかりです。
先が見えない不安から、きちんとした仕事に就くこともできず1年ごとにまるで「死刑執行」が延期されるかのように、延長が決まる住宅支援を頼みに4年間どうにかやってきました。
まだ、子どもたちが独立するには時間がかかります。二重生活の負担がこれ以上増えたら、子どもとともに路頭に迷うしかなくなります。
原発事故を想定していないような「災害救助法」で原発事故の被害者を救済しようとしているのが、まずはムリなことなのです。

原発事故は 一瞬で人の人生、生活を根本からひっくり返します。もう二度と元には戻らない状態にします。時間がたてば復興が可能な自然災害とはわけが違います。原発事故は人災なのです。なのに、誰ひとり裁かれない。責任を取らない。まるで、放射能を怖がって逃げる人々のほうが悪いかのように言われてしまう。こんな状態で、どうやって「起きたことを受け入れて前へ向かって進む」ことができるのでしょうか。

新しい場所でやり直せばいいじゃないかと、人は簡単に言いますが、時間がたてば誰でもみんな同じように立ち直れるなんてありえません。抱えている事情が複雑すぎるのです。健康への不安。帰還への躊躇(ちゅうちょ)。未来が描けないまま時間だけが過ぎていきます。家族の理解は日増しに薄れ、軋轢(あつれき)に苦しむようになっていきます。

「先進国」とかいわれてる国の中で、「漂流」ですか。そんなこと、あってはいけないと思います。
自主避難者切り捨てが、現実に起きたらそれはイコール、多くの場合、子どもたちの生活や未来も切り捨ててよしと、国が判断したも同じことです。
日本はそういう国ですか?
日本の政府は、福島県は そういう考えなのですか?

どの国でも 国民は、とくに子どもたちは、国の宝物のはず。その国民を、子どもたちを被ばくさせておいて放り出すなど、言語道断です。自主避難者を含めた原発事故被害者への、住宅無償提供支援策のさらなる複数年延長を切望します。

2015526
白河市→札幌市 都築啓子




私は震災の3日後、2011314日から4年間、自主避難を続けています。
夫は家のローン代と生計維持のため、郡山に残りました。
避難してから、広島と東京で住居は5回、幼稚園も2度移りました。
今の民間借り上げ住宅におちつくまで、住む場所は全て自力で探しました。
避難当時4歳になったばかりの子どもはPTSDと言われ、おねしょもいまだにしています。
母親の私も、極度のストレスから突発性難聴や不眠になるなど、親子ともさまざまな症状に苦しみました。
母子避難から2年後、私は逼迫(ひっぱく)した家計をなんとかするため、まだ情緒がおちつかない子どもをあちこちに預けながら働きに出ました。
週末だけ夫が会いに来る生活は約4年続きましたが、私が働き無我夢中の生活を送っているなか、夫婦間は修復できないほど気持ちがすれ違い、昨年末に離婚しました。
大人に振り回され、くり返し訪れる困難に押しつぶされそうになりながらも、息子は必死で頑張っていたのだと思います。
情緒はさらに不安定となりながら、「死にたい」と口にする私に、「生きていればいいことがあるよ!死んだら終わり!忘れたの!?勇気!元気!」と好きな絵を描いて励ましてくれました。
ですが私は、子どもにこんな事を言わせるなんてと、さらにつらい気持ちになりました。
正直、避難してからはつらいこと、たいへんなことばかりでした。
いつ終わるやもしれない住宅支援のことを考えると家具も置けず、おちつかない生活に、突然むなしさばかりが込みあげ、死にたくなることも数えきれないほどありました。
今は、子どもにムリをさせながら、生活のためにフルで遠くまで働きに出なくてはならない毎日です。
子どもに震災前のような普通の生活をさせてあげたい。
私も普通に育児がしたい。
もう、余計な心配をせずに楽になりたい。
ずっと願っていることは、ただそれだけです。
原発事故で、家も、家族も、平和な生活も、すべて奪われてしまいました。
そしてまた、やっと築きはじめた居場所が、住宅支援の打ち切りという形で奪われようとしています。
新しい環境への適応が苦手な息子にとって、たび重なる転居や転園は、どんなにか苦しかったことだろうと思います。
また振り出しに戻るなんて事があれば、息子の心は一体どうなってしまうでしょう。。
私たちは、あの原発事故で生死の選択を急に迫られ、その負担をみずから強いてまでも避難せざるを得ませんでした。
このおちつかない状況のままでもなお、ひたすら我慢しつづけながら避難生活を継続せざるを得ない理由は、百人百様、とても深く複雑です。
この苦しい胸の内を、どうかみなさんに想像していただきたいと心から願います。

2015526
郡山市東京都 匿名希望



 
私は、7歳の女の子と3歳の子どのたちの母親です。
 
原発事故があってから、いろいろな経緯を経て、今、東京都中野区に避難しています。
地震だけであったら、大好きな福島から避難していません。
大好きな福島だからこそ、住民票も移動していません。
福島では、山も海も空気も、子育てをする環境にはなくてはならないものでした。
 
汚染水が流れている、福島の海で安心して、子どもたちを海にいれられますか!?
あなたの家族を、子どもを、孫を
 
避難している先で子どもたちは、学校に通っています。住宅がなくなるとの理由で、子どもを転校させて、納得できますか。
私たちは、一日本国民として、子どもを守らなくてはいけない。子どもを守る権利もあるわけです。
風評被害ですか。
過剰反応ですか。
病気になってから、ごめんなさいでは遅いのです。
 
子どもは、たび重なる転園で、心を傷つけています。大好きなお父さんと住めなくても、我慢しています。勝手にやっていることではありません。子どもの健康を守る為にしているのです。
 
原発事故をなかったことにしないでください。
きれいな福島を返してください。
子どもをもう傷つけるのはやめてください。子どもの未来に責任を持ってください。
どうか…ほんとうに福島が安全になってから、返してください。
 
今、私たちから住宅をとらないでください。新しい環境に慣れるのに、どれほどたいへんだったか…。
子どもの心を読みとって下さい。
子どもの涙や悲しい顔は、もう見たくありません。
 
2015526
いわき市中野区 匿名希望




必死に、国や県にも抗議してます。福島に自宅があり、打ち切りになれば、県外で暮らすのは難しくなります。福島に帰っても、仕事はないです。打ち切りになるけれど、仕事がない。福島の決定は、矛盾だらけです。私達は、借り上げが打ち切りになれば、苛酷になものになります。今から、考えます。いつかは、打ち切りになるのは、わかりますが、突然で、しかも、短いです。皆さんたいへんな状況下と思います。よろしくお願いいたします!
支援は、住宅だけでした。あとは自費です。退職金を含め、何とか4年仕事しながら乗り越えてましたが、住宅ローンもあり、二重は不可能です。借り上げは、避難できる唯一の方法でした。もう数年続いてほしいなと願います。そのなか県外移住に向けて、頑張れたら・・・。時間がほしいです。

2015526
福島県→埼玉県 匿名希望




いわき市出身、現在、東京都江戸川区に母子避難中です。
震災後、半年間で6か所移動しながらやっと今の住宅におちつきました。
ようやく地域にも慣れ、保育園でお友達ができたり、私もママ友ができたりと4年たってやっと日常の生活が戻りつつあります。
そんななか、住宅支援打ち切りの報道がありました。
お願いですから、私たちから住まいを奪わないでください。

2015526
いわき市→江戸川区 匿名希望



現在の心境ですが、朝日新聞の記事をみて、また最近不眠症になりました。
あ~、やっと生活がおちついてきて、子ども達の情緒不安定からの爪かみもなくなり、
学校や都会の環境にもやっと慣れ、学校の友達もできました 。震災後に離婚したので、今住居がなくなったらと思うと、私自身、年齢的にもこの先の生活が不安でたまりません。
自主避難者のママ達と話をしたとき、東京に避難してから「子どもと死のうと思った」、他の何人かのママが言いました。えっ、私だけじゃないんだ、みんな同じ思いで苦しんできたんだ。
自分だけじゃないんだ、と心強く思いました。
子どもをかかえての震災のストレスと避難生活のストレスはまだ抱えてます。
爆発がなかったら、避難なんかしてません、大好きな海、山があるいわきにいたかった。

2015526
いわき市→江東区 匿名希望




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【関連情報】

●日本弁護士連合会


●「きびたきの会(東京都)」参議院議員会館にて、復興庁・内閣府・福島県・東京都との懇談会
 5月29日 10時30分~懇談会/11時50分~記者会見

●「自主避難者への住宅支援延長を望む」記者会見 北海道庁道政記者クラブ
 5月29日 14時~



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2015年5月23日土曜日

「日隅一雄・情報流通促進賞2015」で 「ママレボ」が奨励賞に選ばれました

 この度、「日隅一雄・情報流通促進賞2015」で、「ママレボ」が奨励賞に選ばれました。
このような素晴らしい賞をいただけたのも、みなさまが日々、サポートしてくださっているからだと心より感謝しております。

 スタッフ一同、たいへんうれしく、ありがたく感じると同時に、今後もよりきめ細やかで、心のこもった情報をお届けしていかねば、と身が引き締まる思いです。

いただいた賞に恥じぬように、今後も発行続けてまいりたいと思っておりますので、
なにとぞよろしくお願い致します。
(いま、発行が遅れているので非常に焦っておりますが!!かならず6月中にはお届けいたしますので、しばしお待ちくださいませ)
 最後にあらためて、みなさま、いつも支えてくださってほんとうにありがとうございます。
今後も、世の中のもっとも弱い立場の人たちの目線で、伝えつづけていきたいと思っております。

ママレボ出版局 和田秀子/吉田千亜

2015年5月17日日曜日

声を届けよう!暮らしを、命を、切り捨てないで――「自主避難 住宅提供終了へ」

今日(2015年5月17日)の朝日新聞で、「自主避難 住宅提供終了へ」という報道がありました。
2016年度で供与を打ち切るというものです。


(引用)
福島県は避難先の住宅の無償提供を2016年度で終える方針を固め、関係市町村と調整に入った。反応を見極めた上で、5月末にも表明する。故郷への帰還を促進したい考えだ。だが、自主避難者からの反発が予想される。

(中略)
被災市町村の一部は「無償提供を続ける限り、帰還が進まない」とし、県に住宅提供の早期打ち切りを水面下で求めている。無償で住める家があることで、避難先での定着が進んでいるという事情がある。

(中略)
例えば、福島第一原発から30キロ圏の広野町では政府の避難指示は出ていないが、約5100人の町民のうち戻ったのは約4割にとどまる。これまで、自主避難者らの団体は「できるだけ長く続けて欲しい」と県に要望し、一部の市町村も配慮を求めている。





これからできることは、何があるのか考えました。

1)反応を見極めた上で、5月末にも表明」と書かれています。「2016年度住宅提供終了は本当に困る」「困る方がいる」という状況を関係市町村=避難元自治体に伝えませんか。

上記引用の赤字のように、福島県内市町村でも意見が分かれていることがわかります。
一人ひとりの困っている状況を伝え、福島県に対して市町村から『打ち切りは時期尚早である』ということを表明してもらいましょう。

2)1)と同様に、福島県避難者支援課や内閣府(防災)にも「困っている状況」「困る方がいる」ということを伝える。

3)こちらの署名にもご協力を。5月19日午前10時が第一次〆切です。

4)どうか、ママレボにも声をお寄せください。「ママレボ通信」含め、あの手この手、いろいろな方法で、「2016年度の住宅打ち切りでは、路頭に迷う人がでてしまう」ということを、お伝えします。(もちろん、匿名でOKです/当事者の方でも支援者の方でもOKです)



「自主避難」という単語はあたかも「自己責任」である印象を与えます。

でも、原発事故がなければ、放射能汚染がなければ、必要のなかった避難です。
国の勝手な線引きで「自主避難」とされているだけのことです。

賠償のない中での、子育て中の二重生活は、大変です。
そこに、簡単に投げかけられる「自立」や「生活再建」という言葉。
これまで出会った「自主避難」中の方で、誰一人、それを目指していない人なんていませんでした。

思うようにならない中で、唯一の経済支援ともいえる住宅の無償提供だけを頼りに、見ず知らずの土地で

「子どもの被ばくを出来る限り避けたい」

という思いで必死に生きてきたのです。

「ようやく基盤ができてきたこの生活を変えたくない」
「子どもをこれ以上転校させたくない」
「できる限り長く避難生活を続けたい」

――それなのに、たった2年後に、再びどこかへ移動させられるかもしれない、そんなことが、あっていいのでしょうか。

取材で出会った自主避難者は、記者の想像を超える過酷な数年間を送っています。「避難の負担」に「個々の事情」が加算され、状況は千差万別です。

「もう、声をあげることにも、疲れてしまった」
「理不尽さを抱えていても、もう、声をあげてはいけないのではないか、という空気を感じる」

という方もいます。

住宅の問題は命に関わる問題です。

自主避難者にこれ以上、精神的負担、経済的負担を強いることのないよう、
住宅の供与終了は自主避難者の「命の問題」であることが行政に届くよう、
あきらめずに、繰り返し繰り返し、伝え続けましょう。



2015年5月14日木曜日

「国会と政府と福島県知事の不作為」44978筆の署名が集まる――応急仮設住宅(みなし仮設)問題

2015年5月13日、安倍晋三内閣総理大臣及び山谷えり子内閣府特命担当大臣(防災)あてに「避難用住宅の無償提供帰還の延長を求める署名」44978筆が提出された。2014年11月~2015年4月までの約5か月間に、すべて手書きで集められた。

署名を集めたのは「ひなん生活をまもる会」と、「うつくしま☆ふくしまin京都」「震災支援ネットワーク埼玉」の3団体。各地で署名活動が行われ、全国から集まった。




鴨下裕也さん(右)


「ひなん生活をまもる会」の代表鴨下祐也さんは「避難生活を続けることが困難な圧力を感じる」と話す。


昨年も、内閣府宛の署名を16002筆提出しているが、今年は当初「受け取れない」と拒否された。「受け取れない、ということは延長できない、ということなのではないか、という不安を持った」と鴨下さんは言う。

明日、15日には福島県に同署名を提出予定だ。


今日(2015年5月14日)の参議院経済産業委員会では、荒井広幸議員が応急仮設住宅について言及した。


(5月14日の「経済産業委員会」3時間42分頃から)


これまで被災者に大きな精神的負担を強いてきたことをあげ、「自然災害ではなく、原発における救助法が必要ではないか」と提案した。また、そのことを放置してきたことについて、「我々国会、政府、そして国側の言い分を飲んできた福島県の首長の、三者の不作為である」と批判している。


また、除染には莫大な費用を計上しているが、応急仮設住宅(みなし仮設)については200億の経費でできるとし、これまでにかかっている経費を東京電力に求償していない問題についても指摘した。



現在、応急仮設住宅(みなし仮設)の供与期間は、平成26年3月までとされており、今月末にはその後の対応について発表があるとみられている。
先の見えない避難生活が4年を過ぎた。
一刻も早い救済対応を多くの被災者が望んでいる。


(文責:吉田千亜)

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当日の署名提出の様子はアワプラさんがUPしてくださっています。

原発避難者「路頭に迷う」~住宅支援継続求め署名4万提出 |
OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー

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【関連】

明日(5月15日)の消印有効の署名活動も行われています。

<原発事故被害者の救済を求める全国運動 第二期署名>原発事故被害者の住宅・健康・保養支援の立法化と完全賠償の実現を求める請願署名






2015年5月11日月曜日

「福島の人たちは胸をはって戦って!」広島の被爆者たちも激励<「南相馬の地点解除訴訟(20ミリ撤回訴訟)を応援する全国集会in東京」

 20ミリシーベルト基準での避難解除は違法であるとして、南相馬の特定避難勧奨地域の住民たちが国(原子力災害現地対策本部)を起訴したことを応援しようと、「南相馬の地点解除訴訟(20ミリ基準撤回訴訟)を応援する全国集会in東京」(主催:南相馬の地点解除訴訟支援の会準備会)が5月9日、東京都文京区で開かれた。原告を含め全国から約150人が集まった。

 ママレボ通信でも417日の提訴の様子を報じたが、「20ミリ撤回」に賛同する声は福島県内のみならず全国に広がりつつある。



(過去の記事はこちら

◆国に国民を守らせたい

 会に先立ち、あいさつに立ったのは原告代表であり、特定避難勧奨地域の行政区長である菅野秀一さん。
「チェルノブイリ原発事故の事例を見ると、事故から29年たっても子どもたちにさまざまな健康被害が報告されている。もともと一般人の被ばく量は年間1ミリシーベルトという決まりがあるのに、年間20ミリシーベルトなんて、とうてい受け入れられない。地域にはまだまだ放射線量の高い場所がたくさんある。まずそれを払拭してほしい」と訴えた。

 続いて、同じく行政区長の藤原保正さんも、「政府は住民の安全を無視して一方的に地点を解除した。原発労働者なみの年間20ミリシーベルトで解除するなんて、こんなバカげた話はない。我々が行動を起こすことで、国にきちんと国民を守らせたい。これは全国民の権利。いっしょに戦いましょう」と連帯を呼びかけた。


20ミリ解除のココが違法!

 続いて、弁護団の福田健治弁護士から、地点解除はなぜ違法であるのか、以下3つのポイントが示された。

1.一般の年間被ばく線量は年間1ミリシーベルトと決められている。そういうルールで原発を動かしてきたのに、事故後急に年間20ミリシーベルトの被ばくを強いられるのは違法である。

2.ICRP(国際放射線防護委員会)は、放射線防護についてルールを変えるのであれば、必ず利益のほうが大きくないといけないと勧告している。また、(放射線緊急事態後に長期間汚染地域に居住する場合)年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトの下方部分から基準を選択すべきと明示しているのに、上部の20ミリシーベルトを解除の基準にするのは違法である。

3.原子力安全委員会は、避難指示を解除する際には、新たな放射線防護に関する施策を策定し、住民が参加できる枠組みを作って実施すべきという意見を出している。しかし政府は住民の意見を聞かず、一方的に解除したことは違法である。

 また福田弁護士は、政府(原子力災害現地対策本部)が起訴状も見ないうちに、「20ミリシーベルトは十分下回っているので解除した」という反論コメントをマスコミに流したエピソードを披露。
20ミリ基準がおかしいと訴えているのに反論になっていない。訴状も見ないでコメントするからこういうことになる。これまでたくさん行政訴訟を起こしてきたが、訴訟の日に、政府が具体的なコメントをするのは初めて。相当あわてふためいているようだ」と述べ、訴訟に勝つためには、多くの人の連帯が不可欠だと呼びかけた。


◆福島県民は棄民か? 住民たちの訴え

 さらに訴えは続いた。浪江町出身で、原子力発電所の放射線管理担当者教育を受け、現場で指導もしてきた桑原豊さんは、みずから測定した南相馬特定避難勧奨地域の放射線量を示しながら、放射線管理区域なみの場所に住まわされている住民の過酷な現状を報告。

「千葉県の流山市では、0.23マイクロシーベルト以上の場所に長時間滞留しないようにという看板が立てられている。南相馬の勧奨地域は、これ以上の放射線量なのに、なぜ住めと言われるのか。福島県民は棄民ではないのか?」と矛盾を訴えた。

 さらに、特定避難勧奨地点に指定されなかったものの、それと同等に高い放射線量の地域に自宅がある小澤洋一さんは、国や東電の職員が自宅にやってきて測定したときの様子を動画で紹介しながら、「測定するのは今日が初めてです、というような知識のない職員が、測定のマニュアルも読まないで、ずさんな測定をしている。これで我々の人生が決められてしまっている」と憤りをあらわにした。



登壇して訴える南相馬特定避難勧奨地域のみなさん
 さらに、自宅が特定避難勧奨地点に指定されていた3人の子どもをもつ母親は、「解除されても仮設で暮らしている。自宅周辺には、まだまだ放射線量が高いところがたくさんあるので安心できない。子どもは外に出たがるし、近づくなと言ってもホットスポットに近づいてしまう。ずっと見張っているわけにはいかない」と話し、政府が勝手に決めた20ミリシーベルト基準では、安心して子育てができない苦しい胸のうちを吐露。

 またこの日は、まもなく避難指示が解除される予定の楢葉町からいわき市に避難している女性もかけつけ、「年間20ミリシーベルト以下はだいじょうぶなどと情報操作されている。国に洗脳されている。子どもや孫たちのことまで思いをはせたら、あきらめるわけにいかない」訴え、連帯と支援の和をつなげていこうと呼びかけた。



 ◆広島の被爆者が「胸をはって戦おう」と鼓舞

6歳の時、広島で被爆した
黒田レオンさん(左)と、
小野瑛子さん(右)
 サプライズだったのは、広島の被爆者が登壇したことだった。
 ともに6歳のときに原爆を受けたという黒田レオンさんと、小野瑛子さんがそれぞれ原爆者健康手帳を手にしながら、こう語った。

「広島や長崎では、戦後70年たっても年間300件以上、被爆手帳の申請がある。つまり、70年たってもなお、核の被害は続いているということ。この被爆者健康手帳は、天が被爆者のために、ひらひらと舞い降りさせたものではない。私たちが長い期間かけて戦いとったものだ。みなさんも一緒に戦って、勝ち取りましょう。このような裁判が、広島・長崎に始まって、福島で終わりになるように」(黒田レオンさん)

「私自身、65歳のときに甲状腺機能障害になり、甲状腺の摘出手術をした。まわりの被爆者たちも、いろんな病気を抱えている。これらはお金で解決できることではないが、最低限、お金でしか補償できないこともある。自分だけでなく、孫や子の代にまで及ぶかもしれない健康被害。せめて、医療補償だけは勝ち取ってほしい。そのために、広島と福島はつながっていきましょう。福島の人たちには胸をはって戦ってほしい」(小野瑛子さん)


 裁判の行方は、私たちひとりひとりが、どれだけこの裁判の重要性に気付き、関心をもてるかにかかっている。

 通常の20倍もの「年間20ミリシーベルト」というバカげた基準を押しつけられているのは、決して福島県民だけではない。近隣の原発で事故が起きれば、間違いなく同じ基準が自分や子や孫にまで適応される。このことを念頭に置いて応援していきたい。  

ママレボ出版局 和田秀子

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当日の配付資料は、「南相馬避難勧奨地域の会」ホームページからダウンロードできます。
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2015年5月7日木曜日

渡利小学校(福島市)の通学路は、いまだに放射線管理区域なみの放射線量

 先日、福島市内の河川敷で、最大、毎時21マイクロシーベルトを観測」という記事を書いたが、同日423日に渡利小学校の通学路も測定したところ、こちらも深刻な数値だった。

 平均しても、毎時0.40.8マイクロシーベルト前後。環境省が定めている年間1ミリシーベルトの目安となる毎時0.23マイクロシーベルトを軽く超えている。18歳以下は立ち入りを禁止されている“放射線管理区域”レベルだ。それどころか毎時1マイクロシーベルトを超えるような場所もあった。


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 ちょうど下校時刻だったため、子どもたちが通学路を歩いて続々と家路につこうとしていた。



私たちが持っている「ホットスポットファインダー」を見つけると、「それ、何?」と言って近寄ってくる子どももいた。
この赤色の素材がインターロッキングブロック

 スタッフのひとりが、「これは、放射線測定器。この通学路は線量が高いから、あまり立ち止まらないで歩いてね」と注意すると、子どものひとりは、「そうなの?わかった」と、屈託のない笑顔でモニターをのぞき込みながら良い返事をしてくれた。

 除染に詳しいスタッフによると、「通学路に敷かれているインターロッキングブロックは、水が浸透しやすいので、放射性物質を含む水が染みこんでいるから放射線量が高いのではないか」とのことだった。

 さらにこの素材は、除染で洗浄しても、なかなか放射線量が下がらないらしい。

 しかし、子どもたちが(しかも、まだ幼い小学生)毎日通う通学路なのに、なぜこんなに高いままで放置されているのか。

除染はしたものの、その後ふたたび放射性物質を含む水を取り込んで数値が上がったのか。
それとも、除染はしたが、
そもそも数値が下がらなかったのか。
まさか、まだ除染をしていない、なんてことはないだろうし。

 そんなことをあれこれ考えながら福島市に問い合わせてみると、除染施設整備課の担当者が、以下のように答えてくれた。

「渡利小学校の通学路は、今まさに除染をしているところなんです。道路除染は、① 側溝の土砂上げ、②側溝の洗浄、③路面洗浄というように3つの工程に分かれているのですが、現在、渡利小学校の周辺は、① 側溝の土砂上げが終わった段階。
 最終的に、いつすべての工程が終了するかは未定ですが、半年もかからないと思います」

ということは、まだ、4~5ヵ月はかかる可能性はあるのだろうか……。

さらに担当者は続ける。

 「これまでのモニタリング結果を見ていると、山に面している道路などは、一度除染をしても線量があまり下がらない場所もあります。そういう場所については、除染業者が再度、洗浄を行っていますが、それでも下がらないケースがあるんです。
 現在は、追加除染が認められていないのですが、一度除染しても下がらない場所については、福島市として今後、環境省に追加除染を認めてもらえるよう働きかけるつもりです」

 福島市が目指す放射線量は、あくまでも毎時0.23マイクロシーベルトとのこと。
 ただし、なかなか放射線量が下がらない道路については、コリメーターと呼ばれる鉛の遮蔽材を使って、地上から1㎝の場所で測定して、最低でも毎時0.23マイクロシーベルトを目指すそうだ。

 しかし、原発事故から丸4年も過ぎたのに、子どもの通学路すら除染されていなかったということに驚いた。
 もちろん、住宅除染が優先で、それに時間がかかることもわかる。しかし、通学路の優先順位はもっと高くてもよいのではないか。
 なぜこの国はこれほどまでに、未来ある小さな人たちを大切にしないのだろうか。


ママレボ出版局 和田秀子